こどもを守る。
なくならないこどもへの事件。
私たちにできることを考えた。
- 男性が女の子を連れていたら男性に声をかける
「かわいい女の子ですね♪お嬢さんですか?」(若い男性の場合には"妹さん") - 女の子にも念のため声をかける。
「いいね~、お父さんと仲良しで。」(お父さんの場合)
「いいね~、お兄ちゃんいつも遊んでくれるの?」(お兄さんの場合)
やましいことがなければ(本当にお父さんやお兄さんなら)
「かわいい女の子ですね」というのはお父さんやお兄さんにとって嬉しい言葉であるし快く話してくれるに違いない。
万が一やましいことがあるとすれば、
1番の時点で逃げるか、様子がおかしくなるはず。
それでも冷静な人がいたとしても、
2番のように女の子に話しかければ「お父さんじゃないよ。」「お兄ちゃんと遊ぶのはじめてだよ。」と言ってくれるかもしれない。
昔は近所のおばちゃんやお姉さんがみんなこう話しかけていた。
普通の挨拶としてだけど。
でもその"普通の挨拶"が、
もしかしたらこどもを守ることができるのかもしれない。
Comments
Holy
最近は、明らかに不自然な状況を目の当たりにしても「自分には関係ないし・・・」的な考えの人、多いですからね。
そして事件が起きたとき、それでもまだ「知らぬ存ぜぬ」を貫く人と、「あの人はあ~だこ~だ、私は見ました!」みたいにメディアに出たがる人に分かれてるような気がします。
pasさんが仰ることはすごくいいことですね。
効果的だと思いますよ。
でも東京では、自分の身にふりかかることでなければ無関心・・・。
大都会って悲しいですよ。
ちなみに僕は一生この灰色の街に住もうとは、これっぽっちも考えていません。
仕事がうまくいって老後が安泰になれば、釣りが好きなので海の近くの田舎で暮らしたいです。
そのためにも、頑張るぞー!
pas
そうですね。東京などでは道で普通に挨拶することのほうがなんだか珍しい感じですよね。
私の住んでいるこのあたりでは、こういった普通の挨拶は今でもしていて、ayuが赤ちゃんのころは引っ越したばかりで近所に知り合いはいませんでしたが散歩するたびに「まあ!かわいい子だねえ。ほれ、トマト持ってきな。」と畑で採れた野菜や果物をもらって帰ってきたりしました。
マンションなどで隣の部屋の音が気になっていたのに、隣の人と挨拶したりして親しくなってどんな人かが解ると、急に気にならなくなるという話を聞いたことがあります。
自分を守るために人と関わらないというのは逆で、
自分を守るためにもこどもたちを守るためにも人と関わりあっていくことが大切なのですね。
Rena
もう、そのとおりなんだけど。
しかし「関わりたくない」のは冷たいとか面倒とかってだけでなく、母親にはぐれて泣いてる子どもに声をかけて、手を引いて一緒に探してあげるとか、交番につれてくとか、そういうことがはばかられてしまう風潮ができあがっちゃってたりする面もある。
実際、東京都の青少年健全育成条例では(たしか深夜に限っての話だったかもしれないけれど)親の承諾なしに大人が未成年者と歩いたら、ただそれだけで罰金や罰則が課される。
仮に誘拐とか、その他の未成年者への犯罪をある程度それで抑止できたとしても、そのような大人たち、社会の中で、赤の他人の温度を知らずに育ったその先の子どもの精神性にどこか不健全な影を落とすことにはならないだろうか。
またはそういう他人との関わり方をスタンダードとする子どもが大人になったときどのような正義で社会を構築するだろう。
背景には、路上で酔いつぶれてる若い女の子を車に乗せる通りがかりの男の行き先が病院であるとは誰も思わないように、小さな迷子の手を引く男の行き先を交番とはみんなが思いにくくなってきたおそろしい時代背景が確かにあるのだから仕方がないのかもしれないけれど、個人情報保護法といい、何か犯罪が起こったとき、それに対応する立法があまりに直接的で、安易というか稚拙すぎるよな。
しかしそれは「うちの子に他人のおまえが関わるな」という、pasちゃんとは正反対の親たちのヒステリックな意見がマジョリティだからなんだろう。そういう人たちは概して直接的で論理的でないと許さなかったりする。アメリカナイズだな。犯罪も、その犯罪への対抗も。世論も。
pas
>赤の他人の温度を知らずに育ったその先の子どもの精神性に
>どこか不健全な影を落とすことにはならないだろうか
確かにそうですね。
Renaちんが言うとおり、立法は直接的だと思います。
もしかしたら逆に見えるものが見えなくなるかもしれない。
私は人を疑うことは嫌いであり辛いことすが、こどもが関わる事件を目にすることは一番辛い。
そんな時代になっていることも辛い。
ayuには他人の温度を知り、関わってほしい。
自分を守り人を守れるように。